THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (番外編)

   
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人が行く、裏に道あり、華の道」・・・、これは僕が尊敬するプロ・スロッター(パチスロで生計を立てている人)名波浩さんの言葉で、成功を収めたければ他人と同じ事をしていては駄目だという格言である。
名波さんはこの考えを忠実に守り、「北斗の拳」や「吉宗」などの一発台に人が群がる中、手堅いAタイプを攻略し利益を上げ続けている。
そう、大勢の人々が押し寄せる場所ではなく、その裏の道にこそ輝くモノが落ちているのだ。
しかし・・・。

今回の「祭り巡りの旅」を計画するにあたって、僕を最も悩ませたのは「宿の確保」だった。
オリンピックが開催中のトリノをはじめ、ニース、マントン、ヴェネツィア、ヴィアレッジョなどのカーニバル開催地には、言うまでもなく大勢の観光客が押し寄せる。
当然、その地でのユースホステルを含めた宿泊施設は、全て数ヶ月前から予約で一杯になるものだ。
そういった理由から、僕は名波さんの格言通り、目的地から少し離れた都市のユースホステルや安宿を前もってピックアップしておいた。
トリノニースマントンヴィアレッジョの基点としてジェノヴァのユースホステルを、ヴェネツィアの基点としてブレーシャの安宿バーニャカヴァッロのユースホステルをチェックしておいた。
インターネットで調べた情報により、上記の宿泊施設はこの期間中も営業している事、そして予約が全く埋まっていないという事が分かった。
しかし・・・。

ジェノヴァのユースホステルは当たりだった。
鉄道パスをフルに活用し、そこからトリノやニースなどを往復で訪ねる事ができたからだ。
更に全く人がおらず、8人用の部屋を一人で占領でき、実に快適に過ごせたのも嬉しかった。
しかし、問題はもう一つのユースホステル、バーニャカヴァッロだった・・・。
3月1日まで閉鎖中」という貼紙が貼られた入口・・・、それを目にした瞬間、僕はかなりのショックを受けた。
この旅二度目の野宿だが、一回目とは状況が明らかに違う。
マントンからヴェネツィア行きの夜行に乗れなかった時、僕はイタリアン・リヴィエラ(温暖な気候が売りのリゾート地)で野宿した。
しかし、念のために持参した寝袋を使用する必要もないほどの気温、24時間開いていた大きな駅、そして始発の列車が出るまでの短い時間(約4時間)・・・。
つまりこの旅最初の野宿は、苦痛どころか宿代が浮いた事を喜べるほどの状況だった訳だ。
しかしバーニャカヴァッロでは・・・。

エミリア街道から少しズレた地域にある田舎町バーニャカヴァッロ、ボローニャとラヴェンナとを結ぶローカル線上にある小さな街だ。
ショボイ駅は早々に閉められており、鉄製のベンチが二つ並んでいるだけ・・・。
僕が到着したのは午後11時頃で、トーマス・クックにも載せられていないローカル電車は、翌日の7時まで来ない・・・。
そして何よりここはイタリア北東部、とにかく寒い!!
冷え切った鉄製のベンチは、寝袋に包まって横になっていた僕の全身を麻痺させた。
吹き付ける冷酷な突風・・・、ヴェネツィアで購入したカーニバル用の仮面を、まさか防寒のために使う事になるとは・・・。

野宿

ベンチで横たわる僕・・・。



人が行く、裏に道あり、華の道」・・・、これは僕が尊敬するプロ・スロッター名波浩さんの言葉で、成功を収めたければ他人と同じ事をしていては駄目だという格言である。
そう、大勢の人々が押し寄せる場所ではなく、その裏の道にこそ輝くモノが落ちているのだ。
しかし、そのためには事前の情報収集を怠ってはならない。
確かに僕は、バーニャカヴァッロのユースホステルが営業している事をインターネットで確認していた。
だが現地に出向く前に、どうして電話の一本でもかけなかったのだろう。
そこからは、明らかに僕の怠慢さがうかがえる。
大勢の観光客が集まる大都市を避け、一歩裏の街で輝く寝所を探す・・・、おそらくそれは間違いではない。
しかし、とんでもない田舎町での宿泊を計画する場合は、直前に再度電話確認する事をお勧めする。

結局この夜、僕は拾ってきたダンボールの上に座り込み、ただひたすら時間が行き過ぎるのを待った。
この悪夢の一夜で学んだ事、それはダンボールの優秀さだけだったと思う。
他に得たものなど、何もなかった・・・。

野宿1

お世話になったダンボール君とマスクちゃん。

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